【古代ローマ帝国のお話①~元老院並びにローマ市民】

「古代ローマ帝国 第1話 王政~共和政」

需要があるかは分かりませんが、シリーズで古代ローマ帝国の話をしていきたいと思います。

古代ローマは本当に壮大です。人類の歴史の全てが詰まっていると言っても過言ではありません。2000年以上経った今もなおローマは研究され続けていますし、現代で起こっているさまざまな社会問題の多くは古代ローマでも起こってきました。ローマを学ぶことで、何か答えが見つかるのかもしれませんね。私の知識などローマ専門の方には遠く及びませんが、ぼちぼちお話していきたいと思います。

突然ですが、みなさんは古代ローマ帝国の正式名称をご存じですか?

多分、ほとんどの方はご存じないかもしれません。

 

 

古代ローマ帝国の正式名称は「Senatus Populusque Romanus」略して「SPQR」

直訳すると

「元老院並びにローマ市民」という国名です。少し前に「国民の生活が第一」という名前の政党がありましたが、そんな感じですかね笑

※元老院というのは、簡単に言うと国会みたいなものです。

レッジョ・エミリアにあるSPQRの紋章

 

 

ヨーロッパに行くと、至る所にSPQRの文字が見られますので、行かれた際は是非注目してみて下さい。

 

 

古代ローマは1000年以上の歴史がありますが、その時代を大きく分けると

王が支配していた王政時代(紀元前753年~前510年)

独裁はダメ!元老院中心の共和政時代(紀元前510年~前27年)

皇帝が支配する帝政時代(前27年~)

があります。私が好きなのは皇帝がいる帝政時代なのでそこの話を中心にしたいのですが、話の流れもありますので今日は「王政・共和政時代」をさくっとお話したいと思います。

 

 

牛の乳を飲むロムルスとレムス

古代ローマが誕生したのは紀元前753年、神の血を引くロムルスとレムスという双子の兄弟がローマを作ったと言われています。最初の王がロムルスなので、そこからローマという名前がついたとされています。正直、この辺りはほとんど神話の世界です。

 

 

その後7代にわたって王政が続くのですが、最後の王タルクィヌスの息子がやらかします(ローマで一番美しい人妻を襲ったとかなんとか)

結果、市民の怒りを買い、王政は崩壊します。

やはり独裁はいかん!として、元老院を中心とした共和政へと移行します。

共和政で重要視されたのは「権力の一点集中を避ける」ことでした。

二度と独裁者が現れないように、執政官(コンセル)という最高役職を2人設置し、しかも任期は1年とし、権力の集中を徹底的に避ける政治形態を確立しました。

その後、共和政の間にももちろん色々ゴダゴダあったのですが、その辺は一気に飛ばして

次回は帝政の始まりを築いた「ユリウス・カエサル」のお話をしたいと思います。

今日は前置きだけでしたが、古代ローマがとにかく「独裁を嫌っていた」とうのだけは覚えておいてくださいね ^^)