長らく間が空いてしまいましたが、古代ローマのお話第3弾です。前回は、英雄ユリウス・カエサルのお話をしましたね。前回のブログはこちら↓
今回はカエサル暗殺後の話になります。
カエサルの死後、ローマは「カエサル暗殺の元老院派」VS「カエサル派」の構造に加え、カエサルの後継者争いも加わり、さらにはエジプトのクレオパトラも絡んでくる混沌とした時代を迎えます。
まず、カエサル後継者の筆頭だったのが、カエサルとともにコンセルを務めたアントニウスです。
アントニウスはカエサル暗殺派と不戦協定を結び、反カエサル派を一時国外に排除します。そしてカエサルの葬儀でカエサルの血を纏った服を着て感動的な演説を行い、大衆を味方につけます。思えばこの時が彼の全盛だったのかもしれません。
しかし、カエサルの遺書に後継者として指名されていたのは彼ではなく、カエサルの甥(養子)のオクタニアヌスでした。オクタニアヌスは当時18歳の青年で、そんな若造が後継者に指名されたことをアントニウスはひどく嘆きます。
ショックを受けたアントニウスは暴走します。カエサルの遺産をオクタニアヌスに渡さなかったり、ガリアで不戦協定を結んだはずの反カエサル派と戦争したりしたりと、元老院の怒りを買い、対立を深めます。
アントニウスは反元老院派で結集するため、オクタニアヌス・レピドゥスと一時的に手を組みます。これが、第2回三頭政治です。
この三頭政治はもちろん長くは続きません。レピドゥスは早々に島流しに合い脱落、アントニウスは、遠征中にエジプトでクレオパトラと出会い、恋に落ちます。
クレオパトラと言えば、カエサルとも熱愛してましたね。何とも魔性の女なのです。
奥さんがいるにも関わらずクレオパトラと3人の子どもを作ります。その後アントニウスの奥さんは死去し、悲しみに打ちひしがれていたアントニウスを見たオクタニアヌスは、何と自分の姉をアントニウスに嫁がせます。この辺りが現代の我々には理解できない所ですよね笑
しかし、アントニウスはすでにクレオパトラにメロメロで、オクタニアヌスの姉に離婚を突きつけ、クレオパトラと結婚、しかも遺書にはエジプトにローマの国土の一部を贈与する等の内容が書かれていたらしく、アントニウスは「エジプトの女に骨抜きにされた愚か者」として 完全にローマを敵に回します。
このことを大義名分にオクタニアヌスはアントニウスを攻めます。そして、アクティウムの海戦で見事オクタニアヌスはアントニウスに勝利し、アントニウスとクレオパトラは自害します。
後継者争いに勝利したオクタニアヌスは、実質的にローマの独裁者となります。しかし、それではカエサルの二の舞になると思ったのでしょうか、彼は自らをプリンケプス(ローマ市民の第一人者)と呼び、自分が持っていたさまざま権利を放棄することにより、元老院からの支持を得ます。
しかし、これはオクタニアヌスの匠な作戦で、権限を放棄したと言っても大事な権限はちゃっかり残しており、実際には完全に独裁なのですが、あたかも独裁に見えないようにして元老院を取り込んだのです。元老院はオクタニアヌスにすっかり騙され、彼に
アウグストゥス(尊厳者)の称号を与えます。こうして、紀元前27年、ローマは帝政へと移行し、オクタニアヌスはアウグストゥスとしてローマ帝国初代皇帝となったのです。
アウグストゥスは、簡単に言うと「人の心を掴む天才」だと私は思っています。カエサルの意思を引き継ぎ、見事ローマを共和政から帝政へと移行させたのでした。
次回は箸休めとして、カエサル・アウグストゥスの時代のコインをご紹介したいと思います!